「フリーライダー」という言葉がある。実はこの言葉は昨年末に「音学校」で行った「アーティスト・ファースト・マネジメント・ゼミ」でも取り上げたキーワードのひとつだ。意味は「ただ乗り」。つまり「様々なコストを支払わずに、社会政治システムの恩恵だけを受け取ろうとする人たち」である。

注意が必要なのは、ここで言うコストとは、いわゆる金銭的な費用負担のことだけではない。また、社会福祉の援助の対象になる人たちのことを指しているのでもない。それは、たとえば投票や、環境問題への取り組みなどへの不参加・不協力もその対象になる概念なのだ。投票に参加しないことは既存の社会政治システムへの「ただ乗り」であるし、明らかに人々が生活していく環境にとって有害であるとされる問題に対して、そのことを知っていながら、すべて他人任せ、あるいは問題解決のために共同して行うべき必要な行動を「面倒くさい」と忌避することも「ただ乗り」なのである。また、知識や情報として「これは問題がある」と思っていても、自分はなんら行動を起こさず、成り行きに任せるという態度もフリーライダーである。さらに、いかに金持ちで高額納税者であろうと、脱税すればもちろんだが、その状態を支えるために存在するいくつもの社会システムやその歴史的経緯、人的資源に対する還元と貢献がなければ、やはりフリーライダーと言えるだろう。

この問題を提唱したM.L.オルソンは、フリーライダーを近代市民社会の秩序を壊す要因のひとつとして警鐘を鳴らした。個人が自分の利益を追求することを最優先とする功利主義においては、むしろフリーライダーとなることを選択することが正解となってしまう面がある。なぜなら、その方が得だからだ。いくらかは教育・啓蒙活動を通じてそれを阻止することはできるだろうが、個人主義(自由主義)と功利主義だけを前提にすれば、仮に社会の共同性・協力の必要性を認識していたとしても、フリーライダーはどうしても増加してしまうのだ。(少し話はずれてしまうが、全ての社会運動は、このことへの問題意識がなければ拡大していかないと思う。)

この問題は最近かなり顕著になってきているように思える。嘘だらけの政治家からのメッセージが、日本だけでなくアメリカ大統領選でも大量に投下された。これは、ネット上のデマや、ニセ科学・インチキ医療なんかでもよくあることだが、「嘘をつくコストの方が、それが嘘だと証明するコストより安い」ということが原因の一つだろう。つまり、フリーライダーの問題と同じく、個人が自分の利益を追求することを最優先とする功利主義においては、むしろそれは方法論としては正解になってしまうのだ。

ただ、個人の利益追求が間違った方向に進めば、社会自体が崩壊するので元も子もない、ということになってしまうはずなのだけど、そこまでの「長期にわたる時間感覚と想像力」が欠如しているところが、もしかするとこれらの問題の共通点なのかもしれない。目先の利益を追求して、長い目で見たときにはとんでもないことになってしまうかもしれない、ということへの想像力の欠如、あるいは「自分は関係ない」「自分は別の階級いるから平気」という楽観的な考えかもしれない。また、これは未来につながる時間軸に対する想像力だけでなく、過去から積み上げてきた時間軸への想像力の問題でもある。僕が新年の挨拶として書いたようなことであるが、今「すべての人々」がこのようにして生きていることは、これまでの積み重ねがあってのことであり、個を尊重することと、無数の個が積み上げてきた価値を尊重することは、両立しなければならないのだ

先のオルソンは、このフリーライダーを克服する方法には、精神的価値を報酬として活用することが必要と指摘している。このことはシンプルな結論ではあるが、実に深い。そして、これは現在の音楽をめぐる様々な問題を解決していくためには、やはりとても重要なことなのだ。それについては、講座の中で、もしくはあらためてじっくりと書ける機会があればそこで提案してみたいと思う。