これは2015年3月1日に、僕のもう一つのブログ「日々の料理」に書いたものです。
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このブログは特別な料理の紹介ではなくて、タイトルの通り「日々の料理」の記録だ。そんな、どうってこともない日常の中でも、いくつか印象深い料理がある。
そのひとつは、まだこのブログを書き始める前のこと。2011年の3月に遡る。
僕の職場では、普段からFMラジオが流れている。特に震災直後では皆がそれに耳を傾けていた。
すると、「東京都の水道水から基準値を超える放射能が検出されました」というニュースが速報で読み上げられた。
僕は、氷を血管にぶち込まれたような気分になった。
娘はまだ6ヶ月に満たなかった。
母乳だけでは足りず、ミルクを足す必要があった。当然、ミルクには「安全な」水が必要だった。
僕は、近くのコンビニに走る。
2リットルのミネラルウォーターが5本残っていた。
少しの罪悪感がよぎる。
結局、3本買った。2本は残そうという、中途半端な買い占めだった。
大変なことになった、と思った。
地震のあとの東京で4時間30分かけて家まで歩いて帰ったけれど、このとき初めて、福島や東北の人たちとは比べ物にはならないだろうが、自分が当事者になった気がした。
それから、
僕ら夫婦は話し合って、妻と娘は僕の両親が住む土地へと緊急避難的に疎開することにした。
一応「基準値は下回った」と報道されたけれど、いつまた水道水がダメになるかもわからない。安全な水は節約しなければならない。疎開するまでの間で、僕は、水を使わない料理ばかりを作った。炒め物や、電子レンジを駆使した蒸し料理などだ。
それらの料理自体はなんてことはない。ただ、そうした調理を繰り返したことはとても良く憶えている。
あれからもう4年も経つ。
子どもが僕の生活に加わるようになって、僕自身いろんなことが変わったけれど、その中でも大きなことのひとつは、時間の感覚だ。自分が死んだ後のことを考えるようになったのだ。
大人たちは、単年度決算のように生きている。今をしのげば良いと思っている。2〜3年経って平気だったら、たいていのことは忘れてしまう。そして、時間の流れが大人になればなるほど早く感じるから、意外と4〜5年なんて平気でいられる。
「それみたことか、取り越し苦労だ」と、多くのことを片付けてしまう。
そして、もしかすると僕ら大人が生きている、あと2〜30年は、いろんなことは持ちこたえるかもしれない。その間だけは、運良く天災も大規模な事故も戦争もないかもしれない。
しかし、その後も子どもたちは生きる。生きなければならない。
どんな世界を子どもたちに引き渡すのかは、大人たちにかかっている。
だから、30〜40年後のことも50年後のことも100年後のことも考えなければいけない。
それはとても難しいことだから、正しい答えなんてそう簡単には出やしない。
だから、いっぱい話をしなければならないし、いっぱい、正しい情報を残していかなければならない。
それは大人の義務だと思う。