「現実的に考えなければならない」「現実に適応しなければならない」

しかし「現実=正しい」ではない、ということは忘れてはならない。

そもそも「正しさ」とは何か?という話にもなってしまうのだろうが、ここでは「人が皆、その尊厳を保って幸せに生きていくこと」といったものを正しさだと仮定する。

「現実に適応する」ということは、僕らが生きていく上ではもちろん必要なことではある。しかし、生きていて苦痛を感じた時、その痛みは自分自身に対して何らかの警告を出してくれていることでもある。その信号を無視すると、ときには危険な状態になってしまう。もしかすると、適応したというよりは、むしろ感覚が麻痺した、と言った方がふさわしい場合もあるだろう。そのようにして「現実に適応することは正しい」と思い込んで「麻痺」した人間は、大量に虐殺だってやってしまえる。

痛みを感じたら、そっと離れる、離れられないのであれば、せめて、その痛みは自分のせいではないと思うようにする方が良いと思う。痛みに麻痺した多数派の方が正しくないことだってあるのだ。

「痛みを伴った現実」に適応することを、それが正しいことであるとして要求してくる人間や権力に対しては、まず疑ってかかるべきだ。そして、痛みから離脱してきた人を無神経に蹴落とせるような人間の語る「現実」は、強者による単に下品な暴力でしかなく、そんなものに僕らが麻痺してまで適応する意味はない。