年が新しくなったけれど、新年の抱負のようなものは、昨年からあまり変わっていない。というか、たいして劇的な生き方もしていなければ、スピーディになにかを達成しているわけでもないので、自然と「今年も去年と同じで」という具合に落ち着いてしまった。そんなわけで、新年の抱負は昨年と変わりません。
それはそれとして、いつものように、最近思うことについて備忘録・雑記程度に記しておこうと思う。
社会がもの凄いスピードで変化しているということは間違いない。僕が関わっている音楽産業も教育産業も大きくその形を変えようといている。そういう変化が起きている時、ほとんどの人たちはその変化に乗り遅れないようにしようとする。あるいは、その変化の先を予測しようとする。中にはその変化を食い止めようとする人もいる。その変化に対する議論は、それによって生じるメリットとデメリットをめぐって沸騰するが、誰も将来を正確に予測することはできない。
しかし、ひとつだけ確実に言えることがある。
それは、環境の大きな変化は、間違いなく人間に、とりわけその精神に影響を与える、ということだ。そしてその影響は、利益を得る者、失う者、「双方に」生じ、どちらにとっても、必ずしも良い影響ばかりではない。
どんな進歩や発展を目指してもかまわないし、文化には栄枯盛衰があることも仕方がないことだと僕は思っているが、多くの場合、それに伴い生じる人間の疲弊という問題が後回しにされてしまうのは避けたいとも思う。これは古代からはじまって、産業革命が起き、そして今に至るまで、少しずつは改善されている面があるとは言え、未だに変わらない人類の悪癖の一つだ。繰返すけれど、何か大きな変化があれば、誰しもが何かしらその影響を被る、その影響は良くないことも含む、ということは、唯一と言って良いくらい確実に言えることなのだ。そしてそれは、単に「弱者救済」という視点からのみ注意せよと言っているわけではない。それによって全体としての利益も損なう可能性もある、ということなのだ。だから、利益を追求したいという人にとっても、これに意識を回さないのは、撤退の仕方や兵站を考慮しないで戦に挑むのや、無闇な焼き畑農業を繰返すのと対してかわらない。しかし、皆、勇ましいことばかり言って、ついそのことを忘れてしまっているようにみえる。そして悪影響を受けてその結果疲弊してしまった人びとを、それはお前が弱いからだ、自己責任だと詰り、批判された方も自分を責める。問題はすべて「自分の外」にあるにもかかわらず。
僕は、ここら辺のフォローに動くことができれば良いなあ、と思っている。あ、敢えて言うなら、これが今年の新しい抱負と言えば抱負。