DAOKOの流れで米津玄師を思い出した。昨年2017年は「新しくヒットしたアーティストがいない」と上半期まで言われていたのだが、世の中的にそれを埋めたのはおそらく米津玄師、ということになるのだろう。
この「新しく」というのは、音楽好きにとっての新しさではなく、あくまでも「世間一般で」ということだ。音楽を日頃からチェックしてる人にとって米津はすでに数年前にブレイクしている存在だが、そうでない人にとってはDAOKO×米津玄師の『打上花火』(作詞作曲は米津)あたりから「こんな新人が今売れてるんだね!」と朝の報道ワイドショーなどで知ったというかんじだろう。ちなみにその前年はたぶんsuchmosやRADWIMPSあたりがそれにあたると思う。RADWIMPSなんかは、彼等は既にビックネームだったはずなんだけど、実はあまり一般的な存在ではなかったようで、日頃中高生に接しているとわかるんだが、今の彼等にとっては「新しく発見したアーティスト」の部類に入るようだ。そこに最近だと[Alexandros]とかも入る。
さて、米津の場合だが、ボカロPの頃からの作風を踏まえて、というよりも、彼の最近世の中でヒットした曲の歌詞に焦点を当ててみると「思い出」に類するキーワードが多いように感じる。
『打上花火』は「あの日見渡した渚を思い出すんだ」ではじまり、菅田将暉と歌った『灰色と青』では「明け方に揺られて思い出した懐かしい風景」「あの頃」を歌い、『ピースサイン』では「通り過ぎていったあの飛行機を不思議なくらい憶えている」と歌い『アイネクライネ』では「今痛いくらい幸せな思い出がいつか来るお別れを育てて歩く」のだ。
星野源の『恋』にしても「思い出して」と歌われるし、RADWIMPSの『前前前世』は映画とのリンクがあるにしろ「何億何光年分の物語を語る」のだ。backnumberのヒット曲『ハッピーエンド』も、「あの夜のわたしと何が違うんだろう」と基本的に過去に視点が置かれている。
今も昔も過去を歌う曲は沢山あるのだけれど、今歌われる過去はどちらかといえば「肯定的にとらえられる過去」で、宇多田ヒカルのお母さんの藤圭子が「15、16、17と~」歌ったような暗い過去ではない。しかし、今歌われる過去に関しては、情景描写はあっても、具体的な感情や状況の描写はあまりみられない。つまり「あいまいに美化された過去」なのである。
80年代後半から90年代にかけては、先日書いたユーミンもそうだが、ミスチルなんかも「心のまま僕はゆくのさ 誰も知ることのない明日へ(『Tomorrow never knows』)」と未来志向なヒット曲が多々ある。
それが90年代後半になると椎名林檎は『罪と罰』で「未来等見ないで確信できる現在だけ重ねて」と歌い、宇多田ヒカルは『Automatic 』で「嫌なことがあった日も君に会うと全部ふっとんじゃうよ」と歌い、とにかく「今」が大切というモードに変わっていく。
そして現在、「今」を大事にする気持ちは「現状追認」へと変容したり「漠然とした肯定したい過去」を歌ったりするようになっているのかもしれない。「未来」については一昨年の星野源の『恋』が「超えていけ」と歌いRADWIMPSが「また1から探しはじめるさ」と言うのに対し、昨年の『打上花火』は「この夜が続いて欲しかった」と歌いbacknumberの『ハッピーエンド』はそのタイトルとは裏腹に「さよなら」で終わり『瞬き』では「誰にもなれなかったけどただ今日も僕を必要だと思ってくれたら」と、「漠然と肯定される過去」以外には未来への意志はあまり提示されない。
そんな2017年が明けて2018年。昨年末の紅白にも出場し、おそらく今年、一般的に「新しい存在」として認知されるであろうWANIMAのリリースされたばかりの『ともに』ではこのように歌われる。「どれだけ過去が辛くても暗くても~進め君らしく 心躍る方」。
この曲はひたすら過去の悩みや辛さが思い出されていて、それでも「生きてさえいれば、、、命さえあれば」と言い「前に前に前に上に上に」「全てを追い越して何もかも置き去りに思い描いたその先に」と宣言する。とても力強い未来へのメッセージだが「君らしく」が勝つのか「何もかも置き去りに前へ」が勝つのかで、これがダイバーシティになるのか自民党のスローガンになるのか変わってくる。さてどうなるだろう。
“2. 過去・現在・未来を音楽はどう捉えてきたか(80年代から米津玄師・WANIMAまで)” への1件のフィードバック
コメントは受け付けていません。