特定の何かに対してというより、いろんなことに対して感じる「我々 対 彼ら」という構図と、それに対する無自覚。そしてそれによる暴力的な発言や行動と、それに対する無自覚。それが、人間の本能だとしても、少しずつ変わってきてはいて、そのことの大切さをもっと感じるべきなのだろうと思う。以下は、世界的ベストセラー『銃・病原菌・鉄』で知られる進化生物学者ジャレド・ダイアモンド博士によるTV番組『ヒトの秘密』の第10回『戦争と集団虐殺(ジェノサイド)』からのメモ

虐殺は動物から進化した人間が、動物の行動をそのまま変わらず続けているもの。

動物も、殺し合いや戦争、集団虐殺をする。

集団虐殺を行う際、必ず、根底にあるのが『我々 対 彼ら』という発想。

我々対彼ら、よそ者を排他的に攻撃し排除して自分たちだけは生き残ろうとする発想で動物にも見られ、チンパンジーも集団虐殺を行うことが記録されている。チンパンジーの群れの虐殺の理由は、縄張りやメスなどの資産を得るため。他から奪って、自ら生き残るという進化の原理に元ずく行動。

人間の部族社会でも、しばしば虐殺が起こる。実はこのような伝統社会のほうが、人口比でみると悲惨な戦争を続けた20世紀の国家よりなくなった人の割合が大きかった。もちろん、亡くなった人の総数は現在のほうが多いのだが、人口比でみると、伝統社会のほうが高かった。その原因は中央政府がなかったからで、政府は、ときに戦争を布告するが、平和条約を結ぶこともできる。伝統社会は宣戦布告もないが、平和条約もない。そのため、争いが終わって停戦になっても短気で熱しやすい人はまた攻撃をしかけるかもしれず、伝統社会にはそれをとめる中央政府がない。その結果、戦争が続く。

また、部族社会では、「汝殺すなかれ」とは他の掟があり、殺すことにモラルの葛藤がないかもしれない。子供達も大人が戦争にいって殺戮を賞賛されるのを見て育つと、殺すことに躊躇を感じなくなる。

一方現代人は、殺してはいけないと学ぶ。しかし、戦争になると18歳の少年が突然銃を渡され、それまで言われてきたことを忘れて人を殺せと言われる。それまでずっと人殺しはだめと言われてきたのに急に殺せといわれて、人を殺し、混乱しPTSDになってしまう。

第二次世界大戦など大規模な殺戮があったもののいろんなことの積み重ねで暴力で人を殺す人の割合は実は減少している。人類の歴史の中で最も低くなっている。虐殺は動物から引継いだヒトの本質に根付いているが、その一方でヒトはその悲劇を減らす方向にほんの少しずつ、なんとか進んでいる。