要求されるレベルが高くなっていくというのはどの世界でもあることで、例えば体操なんかは昔はC難度までだったものが今ではHやIまで難度が上がっているし、100m走やマラソンのタイムなどもどんどん水準は上がっている。ただ、最近感じるのは、そういうふうにレベルの高さを求めているのとは違う、マルチタスク型とでもいうような高い要求が増えてきている気がする。
例えば、ミュージシャンは音楽以外にも自分でいろんなことができなきゃいけないし、研究者も研究以外にいろんなことができないと現代的ではないらしい。100mを9秒台で走るだけではダメで、気の利いたことを言えたりインスタ映えとか考えられたりしなきゃいけない、というのと同じようなことを、いろんなところで要求されている。
しかもそれは、必ずしも個人の意思ではなく、誰か別の人や組織・産業からの要請の場合もある。もちろん産業や組織と個人は相互に良い関係にあるべきなので、組織や産業からの要請が一概に悪いことではないのだけれど、それによって個人が偏って疲弊することは避けるべきだ。
また、マルチタスク型というのは、うつ病の構造にも共通する点がある。
うつ状態のときに、様々な悩みを同時に考え込み解決しようとして、結果的に何も解決できなかったり、悩みの袋小路に入ってしまったりして、状態・状況を悪化させてしまう、ということがある。問題解決は、問題を整理した上でシングルタスクにしてスモールステップ的に解決していく方がうまくいくことが多いのだけれど、あれもこれもやるのが当然という風潮は、気をつけないと同様の問題を生じさせる可能性がある。
また、「スモールステップが大事」というのはいろんなところで言われるようになったと思うのだけど、実際にはスモールステップを否定しているようなことも多いと感じる。これには2通りあって、ひとつは、「そんな小さなことじゃなくて、もっと劇的なアイデアで変革を!」的なラージステップな場合や、スモールステップをひとつクリアした途端「じゃあ、その勢いで次も!」みたいに欲を出して、台無しにするパターンだ。 冒頭の体操の難度にしろ100mのタイムにしろ、いきなりそこにたどり着いたわけではない。
もうひとつは「ああ、たしかにそれは大切ですね。でもこの先にはこんな問題やあんな問題があるのでそれを考えた上でそのステップを踏んでもらわないと困るんだよね、そのステップでよろこんでてもだめだよ。まったく」みたいな批評家然とした態度で小さくても確実な一歩を揶揄する姿勢だ。もちろんさらに考えなければならないことはあるのだろうが、こういう形で「小さな積み重ねを否定すること」で大きなものを沢山失ってるんじゃないか、と思うことがある。
そういえば、ノーベル賞の話でも「基礎研究が大事」というところはあまり話題になってないな。