数日前にライブイベントでトークライブやってきた。そこでは対談相手の印藤さんにお任せして、わりとフリーで喋ってきたのだけど、そこで自分が話したことで覚えてることを書いておこうと思う。
いきなりなんだけど、僕は「最近なんで中高生の女子の多くがジャニーズにはまれるのかやっとわかった気がする」というようなことを言った。昔は「なんでみんなそんな好きになるのかさっぱりわからない」と思っていたのだ。
それが、僕はたまに高校生向けの相談会や説明会に参加するのだけど、そこで「ハッ?!」としたのだ。
そこで見かける男子たちの多くが、単刀直入にいうと、とてもダサい。垢抜けていない。野球部なんかはもう壊滅的にダサい。日頃、そんなのばっかり身近に見続けていたら、そりゃあジャニーズに限らずアイドルたちはキラキラして見えるだろうと思う。つまりそういうことだ。
しかし、だ。みんながみんなそういうわけではない。なかには米津玄師とか野田洋次郎とかを「カッコイイ!キャー!」という人もいる。うむ。たしかにカッコいい。しかし、小2の娘を持つ父として、なんの情報もなしに米津玄師や野田洋次郎のような見た目の男が自分の娘の後ろを歩いていたら、心中穏やかでいられないだろう。あんな独特の風貌で奇妙なオーラを発している、変な踊りができる男や妙にデカイ帽子を被った男が小2の娘の後ろをついて歩いていたら、通報したくなってしまうかもしれない(笑)
しかし、一定数そういう人にカッコ良さを感じる人がいるのだ。そして、そういう人が、ライブハウスに来るのだ。つまり、もともとバンドとかライブハウスが好きな人は少数派なのだ。ライブハウスはいわばそういう人たちの逃げ込んだ場所でもある。
実際、歴史的に欧米のクラブや野外フェスの一部は、様々なマイノリティ(黒人やLGBTなど)が逃げ込んできた場所でもあって、そうした人びとが、独自のカルチャーを創作してきた場所でもある。
つまり、自分が自分らしくあるためにたどり着いた場所なのだ。
だから、演者が自分らしい音楽をやっていなかったら、自分らしくありたい人たちは離れていくだろう。
ステージに立っている人たちは、自分らしくやれているのだろうか? 僕は、そこを危惧している。この20年くらい、やたらと周りや客に配慮した表現者が多いと感じている。それを全否定はしないけれど、自分らしくあるために自分らしくいられそうな場所と思ってライブハウスにたどり着いた人たちが、自分らしさよりも他の何かに気を使ってばかりいる人の表現にお金を払いたいとは思わないだろう。
“マイノリティの逃げ場としてのライブハウス” への1件のフィードバック
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