今回のグラミー賞ではチャイルディッシュ・ガンビーノの『This Is America』が主要部門である最優秀楽曲賞、最優秀レコード賞を含め、4部門で受賞した。これはひとつのターニング・ポイントなんだろうと思う。これから様々な批評家たちがいろんな意見を発表すると思うが、僕が思うところをざっくりとメモ的に記録しておこうと思う。
僕が思ったのは、「音楽と音量の歴史」についてだ。音楽の歴史は様々な視点から切り取ることができるが、そのひとつが「音量」である。さらに正確に言うならば「何人に対して音を届ける必要があるのか」ということだ。
クラシック音楽で使用される楽器は、18~19世紀を中心に、ホールの大型化、つまり「音を届けたい人数が増えた」ことにより、より大きな音量を出せるように「変化」していく。あえて「変化」とカギ括弧つきで記したのには訳がある。一般的には「改良」「進化」という言葉を使われることが多いのだが、必ずしもそう言い切れない側面もそこにはあって、それまでの少人数に届けば良かった古楽器のもつ繊細な音は、大音量化とともに失われてしまったケースもある。その視点からすれば、必ずしも「改良」「進化」とは言えないのだ。
さて、その後エレキ・ギターに代表されるような、音を電気的に増幅する楽器や、それに伴う音響機器の開発により、十万人単位の聴衆に音を届かせるようになった。また、レコード(CD等も含む)の普及により、より多くの個人にも届けることが可能になった。
そして、インターネットが出現する。現在のインターネット人口は40億人以上とされるが、アーティストはとうとう40億人に音を届けることが可能になった、あるいは40億人に音を届けなければならなくなった、と言えるのかもしれない。そこに「届かせる」ためには、これまでの音の増幅や、録音物を購入することによる再現性の獲得や、その物自体の魅力だけでは足りなくなったのかもしれない。音量を大きくすることはもう限界に達したので、それまであまり聴いていなかった周波数帯の重低音等を強調することで対応しているのかもしれない(※1)。また、もはや音楽だけでは40億人の聴衆に届かせることが難しくなってしまい、そこに「映像」や、主義主張といったある意味での「哲学」などがこれまでよりも付加されるようになってきたのかもしれない。それも、できるだけわかりやすく、刺激的なものを。
それらの変化には、良いも悪いもない。ビジネスや産業としての可能性や、この変化によって新たに素晴らしい表現が生まれることもあるだろう。ただ、その変化の中には、失われるものが必ずある。それが何なのかは気をつけて見ていく必要があると僕は思う。
個人的には、ライブハウス等に行った時にいつも思うことなんだけれど、お客さんがほんの5人とかであっても、その人たちが真に感動するならば、それは本当に素晴らしいことだし、それは1億人が聴いたことがあるということと比べてもなんら価値が低いことではないと思う。その辺りの感じは忘れたくはないなあ。(※2)
【追記】
(※1)『ASIAN KUNG-FU GENERATION 後藤正文に聞く ロックバンドは“低域”とどう向き合うべきか?』参照。
https://realsound.jp/tech/2019/02/post-316161.html
(※2)