小学校2年生の娘は今日が1年間の修了式。それで昼前には帰ってくるのだけど、一番仲の良いお友だちもうちで一緒にお昼を食べることになった。そのお友だちは以前から何度か僕が作った唐揚げをうまいうまいと食べていたので、今回もその唐揚げを食べたいとのリクエストがあった。僕は仕事でお昼は付合えないので、朝から胸肉ともも肉の2種類の唐揚げを作った。これを食べるときは作りたてではないからいつもよりは美味しくないかもしれない。


小学校に入学してからの2年間にはいろんなことがあって、そもそも仲の良い友達ができたのだってつい最近で、スモール・ステップ少しずつ慣れてきたこと、今でも慣れないことが娘にはある。日々、そのときそのときに出くわすいろんな葛藤と向いあっていることは観ていて解る。

娘が産まれて半年もしないうちに東日本大震災が発生したので、ちょうど娘の成長とその後の日本の変化は同時進行で起きていて、いろんなことがリンクして記憶している。僕は例年Facebookなどで、3月11日前後にはそれに関連した何か書いていたのだが、今年はなんだかそういう気持ちにならなくて、他の人の投稿や記事を読んだだけだったのだが、なぜそんな気持ちになったかと言えば、子どもの成長とリンクしたこの8年の思いは、当然のことながら被災地を中心としたいろんな当事者の方々にもあるわけで、そのいろんな意味での深さを思うと、今年はなんとなく何も書く気が起きなかったのだ。

30代半ばくらいからだと思うが、僕は基本的に、家事・育児などの、日々の自分の生活の延長線上でいろんなことを考えるようになった。それが正しいと思うからではなくて、自分の場合はそうでないと、どうもなにかバランスが崩れてしまうような感覚があったからだ。ただ、自分の体験はあくまでも自分のみの体験なのであって、それがいかなる他人の体験とも一致しないかもしれない、と思っている。
その上で、何かが起きた時に生じる、いろんな人々、一人一人、いろんな感情がまったく抜け落ちてしまったまま「私たちは」「この国は」「社会は」「政治は」「文化は」「芸術は」というような「大きな主語」を使うのは避けようとも思っている。

子どもたちは、そのときそのときに、わからないことや大人がたいしたことないとか無意味とかと切り捨ててしまうことに対して色々と悩みながらも真剣に向かい合っている。たぶん、そういうことを忘れずに積み重ねてきたことが少しずつ世の中を良くしてきたんだろうし、全ての人の感情特性を理解し配慮することが不可能だとしても、それができる範囲を少しずつ広げてきたのが人間の歴史なんだとも思う。

とかなんとか、そういう思いもその唐揚げには込められているのだよ、子どもたちよ笑)とりあえず1年お疲れさまでした。