ビルボード・ジャパンが2019年上半期のチャートを発表し、総合ソング・チャートの1位は米津玄師の『Lemon』だった。この曲が2018年3月にリリースされた楽曲であることを考えると、とんでもないロング・ヒットだ。

当然のことながら、この曲に関する様々な批評は無数に存在する。だから今更僕が何かを書く必要もなさそうなのだけど、最近個人的に思うこととリンクすることがあるので、それについて触れてみようと思う。

この曲はTVドラマのテーマ曲でもあり、そのドラマの内容が「死」を扱うものであったことと、米津自身の祖父の死という体験が合わさって、「死」がテーマのひとつとなっている。彼はもともと「自分は死にまつわるようなことをずっと歌ってきた人間」とインタビューで語っているのだが、リアルな死と向かい合ったことで、

~この曲は決して傷付いた人を優しく包み込むようなものにはなってなくて、ただひたすら「あなたの死が悲しい」と歌っている。それは自分がそのとき、人を優しく包み込むような懐の広さがまったく持てなくて、アップダウンの中でしがみついて一点を見つめることに夢中だったので、だからこそ、ものすごく個人的な曲になった。でも自分の作る音楽は「普遍的なものであってほしい」とずっと思っているし、そうやって作った自分の曲を客観的に見たときに「普遍的なものになったな」っていう意識も確かにあって。

語っている

この「ただひたすらあなたの死が悲しい」と歌っていること。これが、現代の社会では許されないことが多い。

「死」に対してではなくても「つらい」「悲しい」という「気持ち」をただ表明したとき、それをひとまず受容してくれるような「一呼吸」がなく、すぐに何かの評価が下される。ただ単に気持ちを表明することが許されない。そしてその評価は、その内容が正しいか間違っているかは別にして、その評価を下す人が「評価を下したいから」行なわれているもので、「つらい」「悲しい」思いをしている当事者のことを思ってなされているものではないことも多い。あるいは、当事者の気持ちをひとまず受容することのない「あなたのことを思って」言われるアドバイスや評価かもしれない。基本的にそれは、悲劇の消費だ。

もちろん、なにか社会や個人をより良い方向に導くためには、冷静な評価は必要だ。しかし、僕たちは生きている上で「気持ち」というものがあり、それはとても重要なものだ。その「気持ち」を一時も受け入れられない社会の中で、この「ただひたすらあなたの死が悲しい」と歌っている曲は、多くの人たちの苦しさと共鳴したのかもしれない、と思った。