妻の提案・企画で、南相馬市に家族で行ってきた。

なぜそういう提案があって、なぜ南相馬市なのかというのには理由があるのだけれど、それを話し始めるとややこしくなるのでそこは割愛。

僕自身、いろんな感情や考えが浮かび上がってきた旅だったのだけど、それについてはほとんど書かないことにする。というか書く必要を感じなかった。東京オリンピックがまもなく開催され、また、いろいろと不穏なことも起きている昨今、これを読んでくれた人それぞれが、いろんなことを感じていただけたら幸いです。

以下、今回の旅の要約。

新幹線と在来線を乗り継いで、自宅からトータル約4時間で原ノ町駅に到着。常磐線はまだ全線再開していない。

ホテルには放射線量率マップが貼ってあり、部屋には震災体験を綴った書籍が置いてあった。また、これはちょっとうがった視点かもしれないのだが、そのホテルに置いてある新聞には讀賣と産経がなかった。


子どもも一緒なので、まずは南相馬の観光。自然が美しい。アルパカが可愛かった。

それから、事前に妻が現地の観光協会に震災に関するボランティアガイドさんを頼んでくれていて、タクシーを貸し切りに2時間程度だが案内してもらった。

海岸沿いの、緑に覆われた何もない広大な土地。場所によっては大量のソーラーパネルが設置されている。

「このあたりには元々家があって、松林があって、あそこに住んでた人は子どもが産まれたばっかりだった、このあたりに住んでいた人たちはみんなバラバラになって、、、」というガイドさんの説明。

この土地に戻ってきた人々や新しくできた商店などもあるのだけれど、いまだ復興途中であることが如実にわかる。

そして、ガイドさんが役目を終わって降りると、タクシーの運転手さんが「あの説明、どうでした?」と言う。
真意をはかりかねていると「あんなんじゃ足りないねえ。もっとさあ、伝えなきゃなんねえこととか見てもらいたいとこあんのになあ、て思いながら運転してましたよ。私はね、家族を5人なくしましてね、、、」

時間があるなら代わりに自分が案内したいと彼は言うのだが、残念なことにこちらに時間的余裕がなかった。

駅前には立派な図書館があった。それは震災前からあった図書館だそうで、失礼な話だがこんな田舎にこんな素敵な図書館があるのかと驚いた。どんなところかはこちらのブログに詳しい。

 

震災後、「こんなときだからこそ、図書館を再開しよう」と陳情し、震災のあった2011年8月には時間制限つきながら再開したそうだ。会報「としょかんのTOMOみなみそうま」に書いてあった菅野清二さんの文章を引用する。
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これから南相馬市に住む人は放射能汚染地域に住む人として見られることは間違いない。そして人口も減るだろう。現に街の中は人がいなくなって空っぽなのだ。辛い、悔しい、悲しい・・・そう思った時に、図書館に会ったのだった。そのときぼくは「大丈夫だ。この街がどうなろうとも、これからなんと言われようとも!誇りを持って生きていける!」と強く思ったのだった。これからこの街からいろんなものがなくなっていくだろう。しかし、図書館と市民文化会館は残った。文化の二本柱は残ったのだ。この文化の二本柱を拠り所に、南相馬の市民はたとえ傷ついても誇り高く暮らして生きていけると思ったのだ。

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どこの図書館でもそうだと思うが、たくさんのチラシやタウン誌などが置いてあった。その中のひとつ「HUSTLE minamisoma」にはこんな文章が書かれていた。

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大切な人との突然の別れ、得体の知れない放射能の恐怖、引き裂かれた家族、荒れ放題の我が家、賠償格差により失った友人、廃棄物の山で埋め尽くされた故郷。この5年間、わたしたちの毎日は、ただただ目の前に迫ってくる残酷で、苦しく、惨めな問題に立ち向かうのが精一杯でした。でも、わたしたちはそんななかでも気付いたことがあります。こんなものは幸せじゃない、こんなものは人生なんかじゃないと。わたしたちは、仲間と笑って生きたいんだと・・・。

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他にこんな情報誌も。

8/11には追悼復興花火が催され、ASIAN KUNG-FU GENERATIONが出演するらしい。