12月16日にMusic Ally JapanさんのMusic Ally Japan チャンネル「アーティスト、音楽業界が直面するメンタルヘルス問題〜現在の取り組みと、改善への支援方法〜」にパネリストとして出演致しました。ゲストとして出演された石井由里さんからとても重要な提言や指摘があり、僕もとても勉強になりました。
僕自身もそこで色々とお話しさせてもらったのですが、「前提となる考え」について文章にしておこうと思います。
まず、大前提として「メンタルヘルス」という言葉ですが、WHOの定義によれば
「人が自身の能力を発揮し、日常におけるストレスに対処でき、生産的に働くことができ、かつ地域に貢献できるような満たされた状態」(a state of well-being)
ということになります。
重要なのは、「特定の疾患があるかないか」という以前に「自分たちが社会との関係の中で、どう生きたいと思っていて、それが実現できているのか?」「全ての人が生活の質を高めること」がメンタルヘルスであるということです。この定義の対象とならない人はいないと思います。つまり全ての人が「当事者」なのです。
また「芸術家」とは、そもそもどういう人を指すのでしょうか?これには色々な考え方があると思いますが、UNESCOの1980年に出された「芸術家の地位に関する勧告」の中にある「芸術家の定義」を参照してみます。
「芸術家」とは、芸術作品を創造し、表現または改造を行ない、その芸術的創造を自己の生活の本質的部分とみなし、これを通じ芸術と文化の発展に貢献し、かつ雇用関係や団体関係があると否とを問わず、芸術家として認知され、または認知されることを希望するすべての者を意味するものとする。
また、この定義を受けて、国際美術連盟は「芸術家はその芸術実践によって生計を立てていなくても、芸術のプロフェッショナルとして認められる」と表明しています。
音楽の場合で考えてみると、メジャーやインディーズのレーベルに所属しているとか、それで稼いでいるとか生計を立てているかどうか、ということは「芸術家であるかどうかには関係ない」ということです。「芸術家として認知され、または認知されることを希望するすべての者を意味する」のです。
そもそも音楽は産業規模としては決して大きくはありません。2019年のライブエンタテイメントの市場規模は6295億円、音楽ソフトは2291億円です。例えば、マヨネーズ・ドレッシングの市場規模が2168億円です。缶コーヒーや即席麺が約6000億円、ゴルフ場は8540億円にもなります。その他、兆を超える市場規模の産業が多数存在します。
しかし、社会や人の人生に与える影響力の大きさを考えたときに、音楽の力はその市場規模の数字の大きさどおりでしょうか? 僕は、全くそんなことはないと思います。缶コーヒーやゴルフ場を悪く言うつもりは全くありませんし、単純に比較できるものではないことを承知で言いますが、一人の芸術家や一つの芸術作品、歌が世の中に及ぼす影響は、それらの比ではないと思います。それは、先ほどの定義とも関係しますが、芸術の力は、お金とは関係ない、文化としての力にその本質があるのだと思います。
ですから、世界の芸術家たちは、例えそれが経済活動的な観点などから「不要不急」であるかのような言われ方をされたとしても、自分たちの存在意義や価値を疑う必要は全くないのです。また、その力の意義を見失い、徒に利益のみにこだわるようになってしまっては、そもそも市場規模としてさほど大きくもない上に、本来の力をも手放してしまうことになりかねません。
とはいえ、ビジネスとして芸術やエンターテインメントに携わっている人には経済活動の問題は無関係ではいられません。しかし、そこでもメンタルヘルスは重要課題になっています。
まず、大前提として、その変化が良いか悪いかに関係なく、なんらかの社会の変化は例外なく皆のメンタルに必ず影響や負荷を与えます。コロナ禍以前から音楽産業の構造はかなり変化し続けていて、それによってアーティストやスタッフたちが対応すべきことが増え、ストレスは増大しています。
各種SNSやストリーミング・サービスを駆使して成功を収める人たちも多く登場してきましたが、一方でSNSやマルチタスクに対する疲れも指摘されるようになっています。
また、昨今のK-POPの成功事例をみて、「強固なファンダム」を形成することが注目されていますが、これはアーティストの発信が膨大になりますし、プライベートも侵食される場合があります。さらにはファンが暴走してしまう危険もあります。
これらの様々な新しいビジネス・スタイルは、すべてメンタルヘルスの維持を必要としているのです。そこに目を配らないと言うことは、例えばプロ野球のピッチャーに「今は150Km以上投げて当たり前」「多数の球種があって当たり前」「ファンサービスは当たり前」などと無数の注文をつけながら、心身のケアをするトレーナーもつけなければ教育もしない、というのと同じです。もしそんなことをしたらどうなるでしょう? 故障して短命に終わるのが目に見えています。つまり、ビジネスとして考えるにしても、メンタルヘルスは必須なのです。
そしてそれは、アーティスト、スタッフ、そしてファンも含めた3者全てに共通なのです。全ての人が当事者なのです。そして皆が当事者であるという自覚を持てたとき、社会はかなり変わると思います。そしてそれを僕は期待していますし、音楽産業としても社会に対してメンタルヘルスの大切さを発信していくことも期待しています。