「アイドルやめました〜AKB48のセカンドキャリア〜」(大木亜希子著・宝島社)。そのタイトルのとおり、それぞれ様々な動機ときっかけからアイドルの世界に入り、その後紆余曲折を経て違う世界へ活躍するフィールドを変えていった女性たちのノンフィクションです。
「アイドル」が切り口となっていますが、全ての人にとって「生き方」を考える上でとても示唆に富んだ本だと思います。とくに、この本に登場する言葉をカウンセラーという立場から読むと、そこには生きていく上で必要な「本当の自己肯定感」、「一貫しつつも変化していくアイデンティティと向き合うこと」、「過去・現在・未来の捉え方と『現在』を大切にすることの重要さ」が凝縮されているようにも感じます。その辺りを解説してみたいと思います。
●「本当の自己肯定感」「ジャッジフリー
「一旦そこで『できないこともあるんだ』って認めて、バランスよく自分が成長していくために欠点も認められるようになってから、弱さも自覚できるようになりました」(菅なな子さん)
「こうして人生ではじめて『誰とも競争しない生活』を手に入れた」(佐藤すみれさん)
「自分自身に優しくなれないと、どこかでそのひずみや影響が出てしまうから。どんなに過酷な状況でも、きちんと自分の心が満たされている状態じゃないといけないと思う」(三ツ井裕美さん)
これらの言葉には「本当の自己肯定感」が現れています。
ところで、自己肯定感という言葉は最近ではやや偏った解釈をされて広まっているようにも感じます。例えば、「誰かのために役立った」とか「何かの成果を得られた」というようなことによって得られる自分への自信などを自己肯定感と言うような場合です。
これは必ずしも間違っているというわけではありませんが、もっと深い自己肯定感とは、何かができるとか役に立つとか、そういったこととは関係なく認められるべきもので、臨床心理学者の高垣忠一郎氏の言葉では「自分が自分であって大丈夫」という感覚のことです。先述の自己肯定感が「自己効力感」と結びついた「機能レベル」の肯定であるのに対し、これは「存在レベル」での肯定になります。「何かができる」「役に立つ」という機能レベルでの肯定は、それがなければ存在が許されないかのような状況も生み出してしまう危険性があります。
高垣氏は「自分が役に立っているという『自己効力感』『自己有用感』を得ることは大切であるが、それにとらわれないことも大切だ。周囲の期待する必要に応えることによって、はじめて自分の存在が許されるかのような気持ちにとらわれる人、なにか『役に立つこと』をしていなければ自分の『居場所』がないかのような強迫観念に駆られている人をみれば、そのことがわかるだろう」と指摘し、まず何よりも「自分が自分であって大丈夫」という自己肯定感を持つことの重要性を説いています。できないことがある自分、弱いところがある自分、それらも含めて自分が自分であって大丈夫なのです。そうした、本当の自己肯定感が彼女たちの言葉からは感じられます。
また、学校や社会の中での過剰な競争原理の影響で、他者との比較にこだわりすぎてしまうと、自己肯定感を抱けなくなってしまうことがあります。しかし、学校や仕事の成績や目立った活動などは、実際は、ある人のごく部分的な特徴に過ぎません。
精神科医の野村総一郎氏は、人々の悩みや不安の原因の大きなものの一つが「いつも他人と比べてしまっている」ことだとし、それに対して「ジャッジフリー」という考え方を提唱しています。私たちは様々な局面で無意識に、あるいは自分勝手に、優劣をつけたり、勝ち負けを意識したり、上に見たり下に見たりというような「ジャッジ」を下しています。そうした思考から意識的に離れ、自分らしく自然なままでいるようにすることが大切だ、ということです。「誰とも競争しない生活」とはまさにこうしたことだと思います。
●アイデンティティは「一貫していくこと」と「絶えず変化し続けていくこと」とのジレンマに常にさらされている
「大切なのは人に頼らず自分で考えて判断して選び抜くこと。『絶対にこうじゃなきゃいけない』っていう精神は大事だけど、それだけじゃない。」(三ツ井裕美さん)
この本に登場する人たちは皆、ある時期にはアイドルでしたが、自分が「本当にやりたいこと」「本当に好きなこと」をきちんと見つめ、それを大切にし、それまでの自分にこだわりすぎることなく、自分の居場所とあり方を変化させていきます。
アイデンティティは青年期に一度確立されると、後はそれが一貫して続く、あるいはそうあるべき、というようなイメージを持たれることがありますが、実際は必ずしもそうではありません。人は成長するにしたがって、職業やパートナーの選択、加齢や社会状況の変化など、多くの選択を突きつけられ、様々な変化に対応することになり、その都度「自分とは何者であるか」を問い直すことになります。アイデンティティの感覚は「一貫していくこと」と「絶えず変化し続けていくこと」とのジレンマに常にさらされているのです。
また、現代社会では、人は「多元的なアイデンティティ」を持つようにもなっています。相手との関わりや、活動場所での役割の違いに合わせて自分のアイデンティティを変えているのです。例えば「会社での自分」、「家庭での自分」、「遊び仲間・サークルの中での自分」などです。アイデンティティは他の人々との関わりの中で作られていく、社会的なものですので、社会が変わればその在り方も変わっていきます。
社会が消費社会へ、グローバル社会へと変化していくにしたがい、個人に与えられる役割や関わる場所は増加し、分化していきます。すると「社会が消費社会へと変化していくにつれて複数の自己を持つプロテウス的な人間が増加する」ようになる、と社会学者のリフトンは指摘しています。プロテウスとはギリシャ神話に出てくる、何にでも変幻自在に変化できる神のことです。また、精神科医の小此木啓吾氏は「今やこの人間が現代の適合者になろうとしている、いやむしろ、プロテウス的人間としての資質が無ければとてもこの変動社会を生き抜いてゆくことは出来ない」と述べています。
しかし、プロテウス的人間はアイデンティティの拡散・喪失に陥入りやすかったり、様々な役割や社会の要求に過剰適応してしまったりして、結果としてメンタルに不調を来す危険性も高くなるという点には注意が必要です。そもそも、すべての人が変化できるとは限りませんし、変化できたとしてもそれがうまくいく保証はどこにもありません。そこで、自分の存在をそのまま受け入れてくれる他者や、カウンセラーなどのサポートが大切になってきます。
●過去を受容れて「現在」を大切にする
過去はすごく役に立っているけれど、大切なのは「今」(河野早紀さん)
やってなかったら、私の今の人生はない。(山田麻莉奈さん)
私がこれまでに経験してきた劣等感や嫉妬も、全て何者にも代え難い人生の大切な1ぺージなのである。(大木亜希子さん)
ブルース・スプリングスティーンは、その自伝『ボーン・トゥ・ラン~ブルース・スプリングスティーン自伝』の中で自身のうつとの闘いについて書いているのですが
「この本の中で僕が強調したかったことの一つは、誰であろうと、どこにいようと、うつは決して放っておいてはくれないということなんだ。いつも車に喩えているんだけどね。あらゆる自分自身がその車に乗っていて、新しい自分はその車に乗り込むことができるんだ。でも、昔の自分がその車を降りることはないんだよ。いつでも重要なのは、そのなかの誰がハンドルを握るかってことだよね」
とインタビューで語っています。
マーシャ・リネハン博士が開発した「弁証法的行動療法」には「徹底的受容」という考え方・手法があります。そこでは、何であれその出来事を価値判断したり、自分自身を批判したりすることなく、現在の状況を認めて受け容れるということ、そして現在の状況はずっと前にはじまった出来事の長期的な連鎖を経て存在していること、この連鎖を否定することは、すでに起きてしまったことを変化させることに対して、全く役に立たないことを認識すること、が大切になります。
過去を変えようとしても無駄、つまり「昔の自分がその車を降りることはない」ということを受け容れて、唯一コントロール可能な「現在」つまり「誰がハンドルを握るか」に意識を向けることがメンタルヘルスにおいてとても重要なのです。
以上、カウンセラーとしての視点から書いてみましたが、そうしたことを抜きにしても、読み物として単純に面白いです。大木さんの私小説『人生を詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』も面白いです。おすすめします。