ライブハウスで話やディスカッションをさせていただく機会が増えて、その度に気づくことがある。先日も池袋のAbsolute Blueで近藤隆久さんの「音楽を愛する者達のビジネス講座」にゲスト参加してきたのだけど、そこでも参加者の方との対話も含めて、たくさんの気づきがあった。予定の時間よりもたくさんお話して、話題は多岐に渡り、自分で言うのもなんだが結構重要なことが満載の会で、これで一冊本になるんじゃないかと思うくらいだった。
そんな話の中で、「産業の話ばかりでなく生産者一人一人を見よう」ということは、僕が一貫して言いたいことのひとつなのだな、とも思った。何か新しいテクノロジーやシステム、プラットフォームが生まれるたびに、新しいビジネスの話やこれからの業界の向かうべき方向などの議論が活発になる。しかしいつでもそれに携わる生産者一人一人のことは後回しになっている。音楽産業であれば、ミュージシャン、作家という一人一人はどうなのか?という議論がいつも後回しになる、ということだ。産業を効果的に健全に発展させていくためには個々それぞれの心身の健康が必要だということに100年以上前に気づいてはじまったのが産業カウンセリングである。100年以上前に「産業全体の話ばかりしていてはダメで、人間を見ろ」と言うことに気づいていたはずなのに、すぐにそれを忘れてしまう。話の中で「共有地の悲劇」と言う例を挙げた。複数の酪農家が共有する牧草地に牛を飼っていて、それぞれの飼い主が他の飼い主よりも自分の生産量をあげようと牛を増やす。すると一頭あたりのミルクの量が減る。減るから牛を増やすことで全体の生産量を増やそうとする。そうしているといずれ牛は痩せ、牧草地も枯渇し、皆が共倒れになる。産業全体のことを考えているつもりで、ミルクを生む牛のことや、そもそもの土壌のことを忘れてしまい、産業自体を壊してしまうことがある。それと似たようなことが音楽産業に起きないとは言えないだろう。
また、一人一人、「個」を見るということは、神経発達症(発達障害)に関することやカウンセリングなどに関わるようになって特に意識するようになったことだ。トークイベントでも「〜という場合はどうしたら良いか」という質問をたびたびいただくのだけれど、「それは実際に個別にその人の置かれている状況や個人の特性などを見ないとわからないのですが」という前提とともに歯切れの悪い意見を言うことになってしまうことが多々ある。だが、歯切れが悪くなってしまっても、事実、実際そうなのだから仕方がないと思っている。雑な平均値で導き出した回答は、おそらく誰にもしっくりこないのだ。
ただ、「個を見る」という時に必要なオーソドックスな考え方と言うものがある。それは先駆者達が長年の研究と実践の蓄積から導き出したものだ。それは共有することができる。僕はできるだけそうしたオーソドックスな知見を、まだ全く届いていないフィールドに届けたいと思っている。
なので、ライブハウスなど、どこでも行きますので気軽にお声かけください。