カウンセリングについて学び始めていた時にテキストにあった「コミュニケーションとは不可逆なものである」という言葉が印象に残っている。
コミュニケーションとは言語だけではなく、態度や表情など、様々なものも含まれるのだけど、それらは一度発信してしまうと、発信する前の状態に戻すことはできない。たとえ「今のは取り消す」と言ったとしても、それはさらに上から新たなコミュニケーションを塗り重ねているだけで、ひとつ前のレイヤーはデジタルのようには消えてくれない。それはアナログに描く透明水彩のように、混ざり合っていく。
ところで、実は僕は絵を描くのは子どもの頃から好きで、今でも落書きみたいな絵はしょっちゅう描いている。しかし、水彩画に関しては、子どもの頃は「難しいな」と思うことが度々あった。それは先述のように、基本的に透明水彩は不可逆だからだ。時には、自分の予測を超えて偶然良い具合に色が重なることもあるけれど(その面白さもあるのだけれど)、それなりの知識や経験がないと、自分の思ったとおりに塗り重ねていくことは難しい。だから、小さい時の絵は、透明度のある水彩絵の具を使っていても、その特性を活かすよりも、できるだけ不透明に、くっきりと厚塗りすることが多かったような記憶がある。
それでも、そのうち透明水彩の特性がだんだんわかってくると、それを活かせるようにもなってくる。色を重ねる時の基本はたくさんあるけれど、とにかく「乾くまで待つ」ことだ。わざとやるのでなければ、下の色が濡れている間に上の色を重ねてしまうと、すぐに滲んだり溶け出してしまったりする。
日常の生活にもそういうところがあって、下の色が乾く前に次々と上から色を塗って、あるいは塗られてしまって、結果として色が濁ってしまう、自分の塗りたかった色とはかけ離れてしまう、みたいなことがある。良い絵を描くように生きるためには「乾くまで待つ時間」も必要なのだろう。
そして、幼かった時に絵を描いていて一番嫌だったのは、勝手に色を塗り重ねられることと、「とにかくやってみろ」と言われて、仕方なくそのとおりにやってみて、結果が自分の望んだものとは違ったときだった。最近また、そんなことを思い出すときがたまにある。