自分が生まれて半世紀、身体に様々な不具合が現れるようになった。エントロピー増大則には逆らえないのだなと思う。そして最近は社会も同じように、混沌へと向かっているように感じることが多い。そんな落ち着かない空気の中で、いろんなことが秩序だって継続されずに、なんだか忘れ去られていっている。

忘れることは必ずしも悪いことではないけれど、忘れてはならないことや、忘れたとしても心身に刻まれていること、というものがある。しかし、いずれ心身は朽ち果てるから、自分以外の誰かや何かに、それらを託していく。それは、何かの役にたつ知識や技術ということもあるけれど、もっと感覚的だったり、心情的なことだったりすることもある。後者に関しては完全に正確な形で渡すことはおそらくできない。それでも、その何かわからないけれど残すべきものを伝えていくことは、とても大事なことなのではないかと最近思う。不正確であっても、大事な部分だけでも残っていくのであれば、それは何かを良い方向に変えていくきっかけになるかもしれない。

大きな災害や事故、悲しいニュース、差別や偏見による痛みなど、この10年だけをみても数限りない。大事でなくても、日々の生活の中でひとりひとり、何かが起きていて、その当事者たちは、その事象や気持ちを忘れることができない、あるいは刻み込まれている。しかし当事者でない人たちはそうではない。そのとき大きく心が動いても、スクロールしていくように次の話題へと飛んでいく。それは避けられないことかもしれないけれど、それでも、少しでも残していければ、何かのきっかけで芽を出すかもしれない。

今年になって何度も「ライブハウスやスタジオなどのそういったところで発信したい」と言い続け、それに応えてくれた人たちがいたことがとても嬉しい。そしてこれも何度も言ってきたことだけれど、「culture」の語源はラテン語の「耕す」に由来する、ということ。Cultureはまさにそのようにして育まれるのだと思う。それはほんの半世紀とはいえ自分が生きてきた中での実感とも一致する。Cultureは高層ビルの上や中では生まれない。しっかりストリートという大地を耕すことが必要なんだと思う。来年もそうやっていけたらと思う。