ふと思ったのだが、時々、「職業」を何かと無関係でいる、無関心である、あるいは特権的な位置にいる(ということに無自覚かもしれないが)ことの言い訳にしてしまうことがある。それは「ミュージシャンだから〜とは関係ない」とか「教師だから〜」「政治家だから〜」とかそういうパターンのことだ。
もちろん職業にはそれぞれの「職業倫理」があるので、それに則るとやってはいけない行為というものは存在する。例えば、自分はカウンセラーでもあるが、その職業倫理の一つにはクライアントに関することの「守秘義務」というものがある。
そうしたこととは関係なく、ただなんとなく自分の職業を言い訳にしてしまうということだ。冒頭で例に出したミュージシャンの場合なんかでは「〜と関係ない」のところには「政治」「社会常識」「身分」など色々な言葉が入ることがある。しかしそれは本当にそうなのか?ということを考えないといけない。
そもそも何らかの職業人である前に人は「人として」存在している。だからまず、「人として」どうなのかを考える方が良いのだろう。大きな災害・災厄が発生したとき、「音楽家として何ができるか」あるいは「音楽家として無力感を抱いた」などと言うことがある。それはわかる話ではあるけれど、音楽家である前に人なのであるから、人として何ができるかを考えるのが先なのではないかと思う。反対に「音楽がなくても命には影響がない」などと卑下する必要もない。何かの職業や趣味は人を構成する一部である。その一部は手や足や目や耳と同じで、無くしても死なないかもしれないが、やはりとても大切なものでもあるのだ。
こうしたことは「職業」だけでなく「ジェンダー」などにも当てはまるのだろう。まず「人として」考えた時に少なくとも「人権」に関することで無関係・無関心でいられる者はいない。多様性という「事実」はしっかりと認識しなければいけないが、「皆、ヒトである」という共通項もとても大事なことなのだと思う。