「優生思想」がどうこうということでSNS界隈で騒ぎになっている。僕は野田洋次郎さんの過去の発言を肯定的に取り上げたこともあれば、批判したこともある。今回は「また、いつものようにやらかしたな」と思いつつ、とにかくダメ。優生思想(と本人は思っていないかもしれないけれど)がいかにダメか、については多くの人が解説してくれているので、ここでは触れない。その代わりに「人がいかに無意識に意思決定しているか」ということの危険性について少し触れておこうと思う。
「無意識」に関してはフロイトの頃から大きなテーマになっているのだが、その頃の解釈や分析からすると、この20年くらいで研究はかなり進んでいる。その研究者の一人、エール大のジョン・バージは次のように言っている。少し長いが引用してみる。
知らない人に出会うと,私たちはまだ会話も始めないうちから,相手に対して第一印象を抱く。相手の人種や性別や年齢を観察し,それを認識すると,特定のグループの人々はこういうふうに振る舞うはずだという心の中にあるステレオタイプにそれらが自動的に結び付く。そうした想定,例えばその社会グループは敵意があるとか怠慢だか,感じがいいとか才覚があるといった見方は,目の前に立っているそのグループの特定個人には合わないことが多い。当人はそうした印象(良い印象も悪い印象も)とはまるで無関係な行動をしてきた人であるのが普通だ。こうした反射的反応は極めて根強く,私たちが意識している信念に反するときでも起こる。自分はマイノリティーに属する人々に肯定的な姿勢である,と言う人々の多くは,社会心理学者が単純なテストによってその矛盾を明らかにすると非常に驚く。「潜在連合テスト」と呼ばれるこのテストでは,被験者に,コンピューター画面に表示されたものについて,価値判断をしてもらう。例えば子犬は「良い」,蜘蛛は「悪い」といった具合だ。その後,人種の異なる人々の顔を次々に見て,白人,黒人などに分類するよう指示される。ここで,被験者が押すボタンの割り当てにちょっとしたトリックを加える。試験の前半では,例えば左のボタンを「良い」または「白人」と答えるときに,右のボタンを「悪い」または「黒人」と答えるときに押す。試験の後半ではこの組み合わせを逆にして,左のボタンは「良い」または「黒人」,右のボタンは「悪い」または「白人」と答えるときに押してもらう。白人の回答者が,もし「良い」/「黒人」のボタン設定よりも,「悪い」/「黒人」のボタン設定の方が簡単に回答できたら(ボタンを押す際のスピードが速かったら),回答者が実は人種的偏見を持っていることが明らかになる。多くの人が意識の上ではマイノリティーグループに対して肯定的な姿勢を持っており,自分はすべての人を公正かつ公平に扱いたいと考えていると言うが,にもかかわらず「良い」/「黒人」のボタンを押す方が時間がかかり,それを押すのが自分にとってより難しいことなのだと知って驚く。
このようなタイプの反応は,法廷や職場,学校で,人間関係と公平性を脅かす。それが無意識の心に起因しているためだ。自分では意識していないため,その時々で意識的に着目している事柄に紛れ込んでくる傾向が強いのだ。自分に人種的偏見が潜んでいることについぞ気づかないまま,その人の否定的な特徴や性格に注意を向けてしまうことになる。
(「意思決定の心理学」J.A. バージ 日経サイエンス2014年5月)
そして、次のように言う。
理解も制御もしにくい衝動に支配されるのを避けるには,私たちを支配する無意識の力を理解することが極めて重要だ。自分の行動を律することができるか,そしてそうすることで友人を作り,新しい仕事を素早く習得し,飲酒癖をやめられるかどうかは,遺伝子や,気質や,社会的な支援ネットワークだけで決まるのではない。覚醒時の生活のあらゆる側面に影響を与える自動的な衝動や感情を認識し,それを克服できるかどうかが,少なからずカギを握る。この世の中でうまく生きていくためには,無意識の自己と折り合いをつけるやり方を学ぶ必要がある。
(「意思決定の心理学」J.A. バージ 日経サイエンス2014年5月)
現代では、様々な研究から「人間の主観的経験、判断、選択や好み、さらには対人行動までもが無識に導かれている」ことが証明されている。興味のある方は、『無意識と社会心理学〜高次心理過程の自動性』(ジョン・バージ編/及川昌典・木村晴・北村英哉 編訳 ナカニシヤ出版)に詳しいのでお薦めしておく。
とにかく、私たちには「無意識」にかなり支配されているということを自覚した方が良い。以前自分の連載でも「アンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)」について取り上げたけれど、自分の中にも優生思想のようなものが無意識にあるのだ、と思っている方が良いのだと思うし「そんなつもりじゃなかった」と言っても、それは無意味なのだ。