昨日はボブ・ディランの誕生日だったそうなんだが、こっちは目下尿管結石発症中で、「How does it fell ?(どんな気持ちだい?)」と問われても痛いもんは痛いしで、できるもんなら「Like a rolling stone 」な感じでさっさと石が転げ出て欲しいです、としか言いようがない今日この頃だ。

とかいう軽口を叩けているのは痛み止めが優秀だからなんだけど、この痛みは体験者以外にはなかなか伝わらないだろうと思う。ちなみに僕はもう3度目で、この痛みはよく出産レベルだ、と例えられることがあるけれど、三人目の出産で慣れたものとはいえ痛いものは痛い。

この「伝わらない」ということは時々考えることでもあって、例えばこの文章の冒頭のボブ・ディランのくだりは、彼の「Like A Rolling Stone」という曲を知らないと「何言ってんの?」ということになるだろう。しかし、現代において普通に生活している若年層ならばボブ・ディランの曲を全く知らない、それどころか名前も知らない、ということは当たり前のことでもあって、そうすると僕のこの文章は書き始めた時点で、届ける相手を選別していることになる。

そうしたことは一概に悪いことでもないし、なんらか純度を高めていくというか、マニアックな集団においてのみ生み出される何か、というのもあるだろう。いわゆる文系理系問わず、研究するということはそういう面もあるし、その専門領域でのみ通じるコミュニケーションというのも必要だと思う。

ただ、問題はそれに自覚的であるのかどうか、ということなのかな、と考えたりする。自覚していれば、そのままでは通じないであろうコミュニケーションの形態を変えることも可能だろうけど、自覚がなければそうした行為に及ぶことすらないのだろう。「それは誰に対して問いかけているのか?」という確認は時々必要なんだろうと思う。

それでもなお無意識に、違う世界や他人のことが全く想像できない場合もあるだろう。

最近、リンダ・リンダスというアメリカの10代女性のパンク・バンドが話題になった。僕はその演奏やメッセージを良いなと思った。でも一方で、これは僕の推測でしかないけれど、10代にして楽器の演奏を習得できて、足元にはエフェクターを何個も並べることができて、「ビキニ・キル」のTシャツを意味がわかって着れるような、経済的にも教養的にもある程度の水準にいられる人たちなのかな、とも思った。それは全く悪いことではない。でももしかすると、この眩しい演奏を直視できない人もいるかもしれない。そもそもこれは「(経済的にも精神的にも家庭環境的にも)学校というフィールドにいられる」人たちの世界での出来事で、世界にはそれ以外の場所で生きている人たちがたくさんいるのだ。「How does it feel ?」と問いかけても、その問い自体が届かないことだってあるだろう。そのことは、頭の片隅に常い置いておきたいと思う。

そして、とにかく早く石が出て欲しい(苦笑)