『永遠の仮眠』松尾潔著。

数多くのヒット曲を手掛けてきたプロデューサーによる書き下ろし小説。

帯には「これまで誰も触れなかった音楽業界という巨大産業のリアル、そして、テレビドラマと主題歌の関係に、日本を代表する音楽プロデューサーが肉薄する長編小説。」とある。僕も音楽業界には多少関わっているし、ここで描かれている音楽・エンタメ産業の裏側や、制作にまつわる話など、知っていることも含めて興味深く、またこの世界と縁がない読者にとってもスリリングかつリアルな、良質のエンタテイメントとしても読めるだろう。

その上で僕には、そうしたところは作者のプロフィールと重なることも含めてインパクトのあるフックやポップさとして機能していながら、それを入り口として社会の様々な問題や歴史、そしてこれからの我々の生き方への問題提起に巧に接続されていくように感じた。それは、描写に登場する様々なモノや音楽たちにも現れている。

まず1968年という数字だ。これは主人公、そして作者の生年と一致する年なのだが、主人公は1968年製のジャガーに乗り、時計は1968年のパテック・フィリップのカラトラバを身につけ、昔親に買ってもらった1968年のヤマハのアップライト・ピアノを売れっ子になった今でも愛用している。

小熊英二に『1968(上)―若者たちの叛乱とその背景』『1968(下)―叛乱の終焉とその遺産』という著作があるのだが、1968年は東大紛争や三億円事件など、日本においてその時代を象徴した大きな社会運動や事件が多数発生した年でもある。そんな1968年製のジャガーに主人公が乗るのはソウルシンガーのアイザック・ヘイズが主題歌を歌う1971年のブラック・パワー・ムービー『黒いジャガー(原題:Shaft)』に因んだものだ。そして時計のカラトラバについてはメーカーの解説から引用する。

革新性と芸術性の追求に手を緩めることはなく、部品一つ一つに手仕上げを加え、歯車の歯と歯の間までも磨き上げるその緻密さ、世界一複雑な時計を作り上げる開発技術力、一切の流行に左右されない普遍性、どんなに古いモデルでも修理・修復可能な信頼性から“一生もの”を超えてお子様、お孫様の代まで『真に代々受け継いでいくことができる唯一の時計』とも言われています。

親が幼少期に買ってくれたピアノに様々な想いや歴史が染み付いていることは容易に想像できるだろう。この3点をとっても、主人公を通じて、この作品には過去から現在そして未来へと流れる「受け継いでいくもの」への意識があると僕は解釈した。これは作中に多く登場するブラック・ミュージックの伝統とも通じる。

しかし、物事の多くは変化する。例えば作中のキャピトルホテル東急は、特に日本の音楽界においては歴史的に特別な意味を持つ場所でもあるのだが、永田町から赤坂見附に移転したことで何か違うものになってしまうし、登場人物たちの体型も、含有する意味も含めて選択するブランドも服装も、年月を経て変化していく。

そうした変化の最たるものが、東日本大震災と原発事故(そして昨今ではコロナ禍)だろう。時代の大きな変化とうねりをきっかけに、登場人物たちは過去と現在の社会と個人のあり方を捉え直していこうともがき、悩む。その苦悩は、男女・夫婦・芸術・大衆・経済など多岐にわたる。なんとなくそのままで置いていられたことと、直面せざるを得なくなっていく。作中の「Comeback」という曲が何度も作り直されるように、何度も向かい合うことで文字通り真のComebackにたどり着く。主人公が、故障したジャガーを置いて、自分の足で走り出す場面はとても象徴的だが、これは過去との決別を意味するわけではない。過去をきちんと再解釈し今ここで走り出すということだ。

そして「弱者だけれど敗者ではない」という言葉と、作中に出てくる「シェア・マイ・ライフ」という曲名のように、この小説は音楽エンタテイメントの入り口から社会的包摂や、様々な問題と向かい合って人生をともにしていくという大きなテーマに接続していく。(関係ないけどメアリー・J・ブライジの3rdアルバムに『シェア・マイ・ワールド』というのがあるのを思い出した)

また、諸所に登場するものや人たちが絶妙で面白い。例えばダイアン・フォン・ファステンバーグのファッションは70年代アメリカで自由な女性の象徴、快楽主義と言われたもので、それだけで冒頭に登場する人物のキャラクターや、主人公の妻が一時期それを好んでいたということの意味を想像してしまう。さりげなくコザ暴動や生命の泉協会なんていう重大なキーワードが飛び込んでくるのにも驚く。読んですぐこの文章を書いているということもあり、登場する物や店、音楽全てを追うことは今の所僕はできていないのだけれど、作者のこだわりと博識、ポップスさと対照的に実はそこにこめられている膨大な情報量と深く長い歴史には脱帽だ。だからこそ、作者は音楽プロデューサーとしても成功したのだろうな、と妙に納得した。