昨日の6/20(木)に、DAYDREAM吉祥寺で恒例の「表現者のためのメンタルヘルス講座」を行いました。今回のテーマは「ケア」。

「ケア」という言葉はいろいろな場面で使われるので、そこから導き出される意味やイメージも様々だと思いますが、今回は主にキャロル・ギリガンが提唱して始まった「ケアの倫理」を中心に考えました。「ケアの倫理」についての基礎的な説明を、メモ的に記しておきます。

「ケアの倫理」について岡野八代著『ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想』(岩波新書)から引用します。

ケアの倫理とは、女性たちの多くが家庭生活にまつわる営み、すなわちケアを一手に引き受けさせられてきた社会・政治状況を批判することから生まれた、人間、社会、そして政治についての考え方、判断の在り方である。

その背景には賃金労働が生活を支える主な収入源となり、家庭生活と就労の領域が分離されたという歴史がある。ケアー気遣い、配慮、世話することーは誰かの手、労力、声かけ、注視、そして時間などを注がれることによってしか生きることのできない人びとが人間社会には必ず存在することから、人間社会の存続には不可欠なものである。

また、その他の人間の活動の多くと比べ、ケアする/される者たちの関係性はしばしば、能力の差が極めて大きい非対称な関係であるため、ケアする者に比してケアされる者たちは暴力に晒されやすく、弱い立場に置かれがちである。

ケアの「倫理」は、こうしたケアとケアの関係が維持されるためにどのような判断、態度、そして思考を必要とするのか、そして社会全体でいかにケア関係を最良のものにしていくのかをめぐって、主にフェミニスト研究者たちによって見いだされ、論じられてきた。

そして現在でも、女性たちの多くは、環境に傷つけられやすく脆弱な人々のニーズを満たす役割、労働、活動を担っていて、かつ「女性らしさ」や「母性」に安易に結び付けられてしまい、女性たちが無償で担うことが当然とされてきました。それが有償であったとしても、その報酬は男性らしさに結びつけられてきた職種と比べると、安価に抑えられてきたし、社会的、政治的にも評価されずにきています。

また、倫理学研究者の冨岡薫氏の説明からも引用してみます。

現在「ケアの倫理」として論じられているものの潮流は、ギリガンの著作『もうひとつの声で』にまで遡ることができる。ギリガンの「ケアの倫理」とは、従来の倫理、すなわち今までの人間の生き方やあり方が、偏った価値観に基づいて構築されてきたことを批判するものである。ギリガンによれば、従来の倫理は、他者から自立していること、理性的であること、規則に基づいていること、人びとの権利をベースに思考すること、そしていつでも・どこでも・誰にでも普遍的に通用するような判断を下すことを、その理論の基盤としていた。

それに対してギリガンが提唱した「ケアの倫理」は、関係性のなかで他者に依存していること、感情を大切にすること、文脈依存的に判断すること、他者(や自己)への責任をベースに考えはじめること、そして個別的な状況において目の前の具体的な他者に応答することを基盤としている。従来の倫理においては、このようなケア的な視点は見過ごされてきたか、指摘されたとしても倫理的に劣ったものとしてみなされてきた。しかしギリガンは、本来人間が生きるために不可欠であるはずの「ケア」を、倫理的に再評価することを試みたのである。

より詳しくはこちらを参照。「道徳判断のその先へ。「ケアの倫理」がひらく“問い直しの倫理学”|倫理学研究者・冨岡薫」