
この本では、公募で集まった71人の、それぞれの生活や環境・人間関係の中でパレスチナについて考えたこと、感じたことが記された日記が、時系列順に紹介されています。
ひとつひとつの日記が物語のように絡んでいくわけでも、最終的に何かの結末にたどり着くわけでもありませんが、ここに溢れ出ている思考と感情たちは、全体として何か大きな流れや繋がりのようなもの生み出しているように感じました。それは時に怒りを伴っていたり、悲しく、苦しく、足元だけを照らす光を頼りに暗闇の中を歩いているような、不安と困惑に満ちたものであったりもします。ただそれは、決して「冷たい」感触ではなく、どこかに暖かさは失わずにあり続けているようでした。
独立行政法人国際協力機構(JICA)の『国際協力70周年記念企画展『それでも歩み続ける』という企画展示があります。そこでは、国際協力について「ひとりひとりがそれぞれでできることを見つけてみませんか?」と呼びかけながら、「ひとつだけ共通することは『一人ではできない』こと」であるといいます。
この日記を寄稿している71人の方々は、それぞれが「自分にできること」をやりながらも、時に孤独感や無力感を抱いたり、「共感疲労」のようになってしまったりしているかもしれません。しかし、こうして言葉たちが集まることで、それぞれが照らしていた足元の光が集まって、より大きな光となり、それが世界を照らし、道を見つける手掛かりとなり、また、そこに集まった人たちをケアしているようにも思えます。
精神科医の中井久夫の言葉も思い出しました。彼は太平洋戦争開戦時の自身の体験や、精神科医として携わった症例などを基に、テロや戦争を起こす際に起きる「踏み越え」という行為について考察しました。「踏み越え」とは、簡単に言えば「壁を越えて実行してしまう行為」のことですが、彼は「(テロや戦争を)実行に移さないように衝動に耐えて踏みとどまる」ためには「自己コントロールが必要」だが、そのためには、自己コントロールを行なっている人が尊重されなければならないと説きました。
私たちは、「自己コントロール」を容易にし、「自己コントロール」が自尊心を増進し、情緒的な満足感を満たし、周囲よりの好意的な眼差しを感じ、社会的評価の高まりを実感し、尊敬する人が「自己コントロール」の実践者であって、その人たちを含む多数派に自分が属することを確信し、また「自己コントロール」を失うことが利益を生まないことを実際に見聞きする必要がある。
抑制している人が嘲笑され、少数派として迫害され、美学的にダサイと自分も感じられるような家庭的・仲間的・社会的環境は、「自己コントロール」を維持するために内的・外的緊張を生むもので、長期的には「自己コントロール」は苦行となり、虚無感が忍び寄って、破壊するであろう。戦争における残虐行為は、そういう時、呆れるほどやすやすと行われるのではないだろうか。
昨今のSNSを中心とした社会の中にいると、この言葉がリアルに感じます。
しかしまた一方で、自己コントロールだけでも足りず、それ以外に「文化」が必要だとも説きました。先の引用に続いてこのようにいいます。
もっとも、そういう場は、短期的には誰しも通過するものであって、その時には単なる「自己コントロール」では足りない。おそらく、それを包むゆとり、情緒的なゆるめ感、そして自分は独りではないという感覚、近くは信頼できる友情、広くは価値的なもの、個を越えた良性の権威へのつながりの感覚が必要であろう。これを可能にするものを、私たちは文化と呼ぶのであるまいか。
この本は、「踏みとどまる人たち」を尊重し、その「自己コントロール」を「包むゆとり、情緒的なゆるめ感、そして自分は独りではないという感覚、近くは信頼できる友情、広くは価値的なもの、個を越えた良性の権威へのつながりの感覚」を持った「文化」なのでしょう。
*この本の売り上げは、経費を除いてすべてパレスチナ支援の寄付にあてられるそうです。
<参照>
『徴候・記憶・外傷』(中井久夫著・みすず書房)