「日本人は権威主義国家のナラティブに広く説得されることが明らかに」という研究結果が早稲田大学から発表されていた。
詳しくはリンク先を参照してほしいが、大体以下のような内容である。
・研究の結果、日本人は民主主義国の主流ナラティブと同等か、それ以上に権威主義国家の非自由主義的ナラティブに説得されることが明らかになった。
・さらに、この効果は政治的知識の多寡、権威主義志向、陰謀論的信念の強さに関わらず一様に見られた。つまり、政治に詳しいからといって非自由主義的ナラティブの影響を免れるわけではなく、日本人全体が広く権威主義国のナラティブに説得されやすい傾向がある。
・また、非自由主義的ナラティブと主流ナラティブを両方読んだ場合は互いに説得効果を打ち消し合うが、最終的には非自由主義的ナラティブの影響が残ることがわかった。この結果は、日本の世論が非自由主義的ナラティブに対して脆弱であることを示唆しており、こうしたナラティブが広く拡散されることで、世論の変化が生じる可能性があることを示している。
<注>
【権威主義国とは】
権威主義国は自由で競争的な選挙による権力交代が制限されている国家を指す。こうした国々ではしばしば政治的自由が制限されたり法の支配が欠如したりし、政治的権力が一部の個人や政党に集中する。
【ナラティブとは】
ナラティブとは、単なる情報の集合ではなく、ストーリーとして構成されたメッセージであり、受け手の感情や共感を引き出すことで、認知や行動の変容を促すものである。非自由主義的ナラティブとは、権威主義国家が自国の正当性や優位性を主張するために用いるナラティブを指す。一方で、主流ナラティブは、民主主義国家が共有するものであり、自由や人権といった普遍的価値に基づいたナラティブを意味する。
「ナラティブ」という言葉は心理学・社会学の方面でも使われる言葉だ。その場合「社会構成主義」という考え方がその背景にある。
社会構成主義とは、社会に存在するありとあらゆるものは、人間が対話(コミュニケーション)を通し作り上げたものであるという主義・考え方で、アメリカの心理学者であるガーゲン氏が提唱した理論だ。ガーゲン氏は、たとえ同じ言葉であっても、社会背景によってその捉え方は異なると指摘していて、「社会行為に伴う現象は、その行為をどのように意味づけるかによって変わる」「社会的常識は長い時間をかけた文化的歴史的産物である」「社会的知の構築は、言語的相互作用の中でなされていく」と考える。
この考え方は、価値観など多様化が進む現代でより注目されている。自分の「常識」は他者にとっての常識とは限らない。「社会的常識は長い時間をかけた文化的歴史的産物である」であり「同じ言葉であっても、社会背景によってその捉え方は異なる」のである。そしてそれぞれにそれを作ってきた長い「物語」がある。だからナラティブ(物語)に注目して対話を重ねることで、最適解を見出していく。それをナラティブ・アプローチと言う。ナラティブの力が注目されているのは、それが現代社会では必要だからでもある。冒頭に取り上げた研究結果も、そうした社会の反映もあるのかもしれない。
社会構成主義の、個人や「本質」ではなく「社会」に目を向ける点は、障害を考える際の「個人モデル」「社会モデル」の考え方にも通じる。しかしここにも同様の問題があって、個人と社会のどちらだけで物事は解決しないし、ナラティブに注目しすぎるあまり客観的事実・科学的根拠を蔑ろにしてはならない。
とはいえ、この研究結果のようにナラティブの力は圧倒的のようだ。日本人がなぜ権威主義のナラティブに脆弱なのかわからないので、そこに対する考察や研究も知りたいが、昨今のオーディション番組の流行ぶりを見ていると、その現象に関しては納得してしまう。民主的な衣を纏った絶大な権力者の意に沿うために全力を尽くす挑戦者たちのナラティブに多くの人が感動しているのだから。