アメリカの哲学者・エリック・ホッファーは「大衆運動」(キリスト教、愛国主義、ナチス、共産主義etc)に人がなぜ身を投じるのか、ということについて分析をしました。そして彼は、大衆運動に参加する人々は「自分が自分であることに耐え切れなくなり、個人としての自分から逃走しようとする人である」と指摘します。以下は彼の著書『大衆運動』からの引用です。

自由は、欲求不満を軽減する反面、少なくともそれと同程度に欲求不満をいっそう重くする。選択の自由は、失敗した場合の非難をことごとく個人に荷わせる。(中略)個人の責任から逃れるために、つまり熱烈な若いナチス党員の言葉でいえば、「自由から自由になるために」大衆運動に参加するのである。(中略)実は彼らは、責任から自由になるため、ナチ運動に参加したのではなかったろうか。(エリック・ホッファー『大衆運動』)

そして、集団に融合された個人は、自分も他人も「個の人間」としては考えなくなり「自分は○○人だ」「自分は○○教徒だ」と、所属集団を主張するようになるといいます。「個人の責任から逃れるため」という視点に注目です。現代の私たちも、やたらと「個人の責任」を重くさせられていることが増えているように思えます。