前回『「自分らしさ」と「条件付きの連帯・多様性礼賛」の音楽(尾崎豊から欅坂46まで)』という試論を書いた。そこでは「自分らしさ=多様性礼賛」が「ひとりひとりのもの」から「条件付きの連帯下においてのみ」認められるものへと変質していく流れをみてきた。それと並行してJ-POPにおいて「自分らしさ」=「アイデンティティ」がどのように歌われてきたのかについて、もう少し社会の状況を考慮しながら観てみようと思う。

【1980年代~バブル期】

前回書いたように、1983年に尾崎豊が「自分らしく」というメッセージを強く打ち出した『僕が僕であるように』を発表する。自分の内面に向かうという行為は、ある程度の「余裕」がなければ難しいという側面もあるが、時代はまさにバブル経済突入直前であり、高度経済成長下で生じはじめた様々な歪みに対して、若者が内省を深めるだけの余裕を得られるようになったということもあるのだろう。

それは、抑圧されていた女性にも観られるようになる。渡辺美里は1986年に『My Revolution』を発表する。そこでは「わかりはじめたMy Revolution 」 「自分だけの生き方 誰にも決められない」と高らかに宣言される。日本がバブルに突入するとされるのが1987年。まさにその前年のことである。ちなみにこの曲は小室哲哉の作曲。彼の作曲家としてのターニングポイントとなった出世作である。

その後。バブルは1991年に崩壊したとされるのだが、一般市民に広くその影響が現れてくるのはまだもう少し後のことで、世の中はまだ「ジュリアナ東京」(1992~94年)のブームに象徴されるように、お祭り騒ぎは継続している。世界では東西ドイツの統合やソ連の解体など、大きく変化している時代でもあるのだが、日本社会の一般市民においてはそれもやはり大きな影響として感じられてはいない。

その頃に発表されたのが槇原敬之の『どんなときも』(1991年)であり、「どんなときも 僕が僕らしくあるために 好きなものは好き! と言える気持ち 抱きしめてたい」と宣言される。そして「どんなときも迷う続ける日々が答えになること 僕は知っているから」と歌われていて、これは、たとえ迷い続けたとしても「答えが出ること」に対しての確信がある、ということでもあった。

【1995年~。阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件以後】

ところが、日本で大きな出来事が起きる。阪神淡路大震災とオウム真理教による地下鉄サリン事件である。これを境に、J-POPの表現に変化が見られはじめる。

1995~97年のオリコン年間シングルランキングをみると、その多くを小室哲哉が手がけた楽曲とMr. Childrenが占めていることがわかる。そのMr.Childrenは『名もなき詩』(1996年)で「あるがままの心で生きられぬ弱さを 誰かのせいにして過ごしている 知らぬ間に築いてた自分らしさの檻の中で もがいてるなら 僕だってそうなんだ」と歌い、それまで感じていた「自分らしさ」への疑義を表明し、『終わりなき旅』(1997年)では「もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅」と歌う。ここではもはや「自分らしさ」がいったい何であるのかの確信が失われていて、それが見つかるのかどうかも定かではなくなっている。

また、小室哲哉はglobeの『FACE』(1997年)では「少しくらいはきっと役には立ってる でもときどき自分の生きがいが消えてく」「鏡に映ったあなたと2人 情けないよで たくましくもある 顔と顔寄せ合い なぐさめあったらそれぞれ 玄関のドアを一人で開けよう」と言う。「役に立つようで」でも「生きがいが消えていく」というところにもアンビバレンツな感情が観られ、「鏡を見る」という内省を表す言葉が使われていて、そこでは「情けないような 逞しいような」、あいまいで不安定な自分の姿が映し出されている。また、同じくglobeの『Perfume Of Love』(1997年)では「一人ぼっちのパラダイスいつまでも抱えて 少しは誰かに分かってほしくて 憂鬱さを誰にも見せずに歩いてる こんな私は鏡にどう映ってる」と、やはりここでも「鏡」に映る「自分」を内省していて、自分が何者なのかを見失っている孤独が現れている。小室哲哉の歌詞の表現手法には、「曖昧さ」と「両義性」が多々見られ、それが最大公約数を拾うように機能した面もあるのだが、音楽的には「ジュリアナ東京→六本木ヴェルファーレ」的なバブルの余韻としての狂騒と共鳴し、その一方で社会不安に伴い聴き手が漠然と抱えていた孤独や不安・不安定感とは歌詞が共鳴することによってヒットに繋がったという面もあるのではないかと思う。

【1998年~ 自殺者が3万人を超える。ロストジェネレーション】

しかし、徐々に降り積もっていた歪みがついに噴出するときがやってくる。1998年、日本では自殺者が急増し、その数は3万人を超えてしまう。そして時を同じくして「超就職氷河期」に突入し、その後「ロストジェネレーション」(1999~2006年)と呼ばれる世代を生み出してしまうことになる。もはや、「生きていくこと」さえ困難な状況であるということを多くの人びとが感じるようになってしまった社会では、「曖昧なメッセージ」や「バブル的ムード」は受入れられなくなった。かわりに、「はっきりとしたメッセージ」や「本格派」であること、説得力を持った「カリスマ性」のある「個性が確立された個人」などが求められるようになった。

そこへ、1998~9年に椎名林檎が、宇多田ヒカルが、そしてBUMP OF CHICKENがデビューする。BUMP OF CHICKENは『ランプ』(1999年)で「自分が信じれないのかい?」「当たり前の事に気づいた 自分自身知らなかった自分自身」とアイデンティティの確かな存在を断言する。椎名林檎や宇多田ヒカルは、その圧倒的な存在感と「今を大事にする」メッセージ(参照 2.過去・現在・未来を音楽はどうとらえてきたか80年代から米津玄師・WANIMAまで)で、やはり「個=アイデンティティ」の確かを示した。それらと入れ替わるように小室哲哉はヒットチャートから姿を消していく。

【2010年代、311以後】

しかし、社会が大きく好転する気配は感じられず、説得力のあるアーティストによってその存在が保証された「アイデンティティ」は再び危機を迎えることになる。

サカナクションは、そのものズバリなタイトル『アイデンティティ』(2010年)で「アイデンティティがない 生まれない」「まだ見えない 自分らしさってやつに 朝は来るのか?」と歌う。しかし、ここではまだ、アイデンティティは「不確かではあるが、存在して欲しい」という気持ちが見られる。

そして、2011年、東日本大震災とそれに伴う原発事故が発生。この災害と事故の影響はもちろん非常に大きく、アーティストたちの表現にも変化を生じさせた。アイデンティティの問題についても、以前「現状追認の音楽」で指摘したようにSHISHAMOや西野カナは、「自分らしさ」は二の次に、厳しい現状をいかに受入れて生きていくかを歌い、椎名林檎は「決まっちゃったんだから一致団結して~」と現状を追認していく。そこには1986年に渡辺美里がうたったような「My Revolution」は跡形もない。

そして、まだ世間的にブレイクしたとまでは言えないかもしれないが、注目されている女性2人組のyonigeは『さよならアイデンティティ』(2015年)と歌う。ゲスの極み乙女は2015年には『私以外私じゃないの』と歌っていたが、翌年の2016年の『サイデンティティ』では「アイデンティティはもうとっくに取られちまった」と歌った。

これから僕たちのアイデンティティはどこに向かうのだろうか?

ただ、ひとつ指摘しておきたいことは、アイデンティティは生きている間、死ぬまで変化し続けるものであり、それは「探す」というよりは「確認し続けて、一致させていくもの」だ。別の何かを優先しておろそかにしたり、誰かに捧げてしまったりしてはならないものだと思う。