8月3日にDAYDREAM吉祥寺で開催された「表現者のためのメンタルヘルス講座Vol.13 表現とジェンダー平等③」で少し触れたのですが、『学ぶことは、とびこえることー自由のためのフェミニズム教育』(ベル・フックス 著 里見実監訳 朴和美・堀田碧・吉原令子訳・ちくま学芸文庫)から一部引用して紹介したいと思います。今、この考え方と感覚はとても大切な気がしています。(*WEBで読みやすいように改行しています)


忘れられないのだが、ある日、授業に出席していた一学生が、こう言ったのだ。

「あなたの授業をとって、わたしたちは批判的に世界を見ることを学びました。人種や性や階級のことをずっと考えてきました。そうしたら、なんだか、人生が楽しく思えなくなってしまって」と。

わたしは、教室を見渡した。いろいろな階級の学生がいる。人種も性的指向も、民族もさまざま。でも、みんな一様に、この発言にうなずいている。その時、わたしははじめて気づいたのだった。古い思考や認識の方法を捨てて、ものごとへの新しいアプローチを学ぶとき、そこには大なり小なり、痛みが伴う。伴うこともある、などという話ではなくて、伴って当たり前なのだ。

そういう痛みをわたしは大切にしたい。いまでは、教える際は、そのことをふくめて教えたいと思っている。パラダイムの変更とともに、それを変えることによって生じる居心地の悪さについても語っている。

白人学生が人種や人種差別について批判的に考えることを学んで、休暇で家に帰ると、自分の両親が突然違った目で見えてくるようになる。学生たちは、進歩を認めない考え方や人種的偏見などに気づくだろうし、おそらく、つらい思いもするだろう。新しい認識方法を獲得すると、それまでは存在しなかった異和感のようなものが生じてくる。学生たちが休暇から帰ってくると、授業で学んだことが他の場所での体験にどんな影響を与えたかを、みんなに話してくれるように頼むことがある。そうすることで、学生たちは、困難な思いを味わったのが自分だけではないことを知り、理解と実践、認識と日々の習慣とを結びつけて考えることを学ぶ。わたしたちは、思想とともに、日々のあり方そのものを問い直すのだ。こうしたことを通じて、学びの共同体は形成されるのである。