今日は七夕。
以前七夕の日にこんなことを書いていたのだけど、それから5年が経つ。その間にいろんなことが世の中にも自分にも起きたけれど、あの時に思った気持ちとあまり大きな変化はない。
そんな気持ちとともに最近思うのは、人間には、それに明確な根拠がなくても、相互の対話を積み重ね続けて、その結果として創り上げた「正しさ」のようなものがあるということだ。そもそも「正しさ」自体が明確なものではないのだけれど、例えば「人権」という概念に何かの(科学的)根拠を提示することは難しいかもしれないが、人間は長い時間をかけてその概念を生み出して、それに一定の「正しさ」を認めたのだと思う。そういう「正しさ」は一朝一夕に作れるものではないし、「対話」といってもいつも穏やかであるわけではないし、時にはお互いに嫌な気持ちになったりすることもあるだろう。しかし急拵えで作り出した「正しさ」は時になにかや誰かを多大に傷つけることがある。もちろん緊急措置的な判断や主張が必要な場合や、それによって大きく世界が動きはじめるきっかけになるということもあるのだから、それが一概に悪いというわけではないかもしれないが、「正しさ」は基本的に多くの対話と労力を必要とするのだろう。
ネガティブ・ケイパビリティという言葉がある。ごく簡単に言えば、どうしようもないこと、答えがわからないもの、不安定な状態などを、それをそのままで耐え忍ぶ能力、といったところだ。こういうことは日常生活でもカウンセリングの場でも多々ある。その時にはどうしようもないことというのがあって、それが対話や思考を重ね続けて行くことで、時間とともにいつの間にか答えが見つかったり解決していたりする。
何らかの創作活動にもそういうところがあって、なにかよくわからない、とりたてて根拠もない自分の思想・感情を形にしていく作業を自分や他人との対話を重ね続けて行くうちに、何らかのものになっていく。
まあ、とにかく、今はよくわからなかったり難しかったり、不安だったりしていても、自分や他人との対話と、学ぶことを続けていくことで、何らかの「正しさ」は実現していくんじゃないか、と漠然と、七夕の日に思った。