金子書房さんのnoteでの連載「文化・芸能業界のメンタルヘルスを考える(臨床心理士・公認心理師・俳優:小野寺史穂理×音楽専門学校講師・産業カウンセラー:手島将彦)」の 第7回は「ルッキズムとメンタルヘルス」というテーマなのですが、そこで少し触れていますが、今ルッキズムに関してどのような議論がなされているのか、ということに関してもう少し詳しくメモ書きしました。
ルッキズムをめぐる議論
ルッキズムという言葉は2016年頃から使われはじめ、2020年頃から多く話題になるようになった、比較的新しい概念。そのため、その用語の使われ方の幅が広すぎたり、反対に、単なる外見至上主義のように限定された使われ方をしてしまったりしている。
ルッキズムをめぐる議論は主に下記の3つにまとめられる。
本来は無関係な場面で外見が評価されることを問題化している議論(イレレヴァント論・無関係論)
【問題点】
美容クリニックでの販売員のケース
美容商品に関する知識やマーケティングスキルと外見は関係ないが、販売員の外見と美容サービスを結びつける顧客とそれが売り上げに与える影響という点では関係がある
美が社会的カテゴリーによって不均衡に配分化されていることを問題化している議論(美の不均衡論・バイアス論)
【Hamermesh】
教育や年齢などの要因が与える影響を調整しても、「外見が「平均よりも上の人」は「平均の人」や「平均よりも下の人」に比べて収入が高い、という研究結果
【Hakim】
美や性的魅力、自分を演出する能力や社交スキルを個人の資本と捉えて「エロティック・キャピタル」と呼び、経済資本・文化資本・社会関係資本と並ぶ第4の資本とみなすよう提唱
エロティック・キャピタルは「努力や個人的なイニシアチブによって生まれる」資本
【Mearsの反論】
美を労働市場においてより良い見返りを得るための「個人的な投資戦略」とみなすのは、「良い外見」が人種や階級、ジェンダーなどをめぐる不平等と密接不可分な形で構築されることを捉えていないと批判
美容整形が単に美しくなるためではなく、スティグマ化された人種的な特徴を消去したり「女性/男性らしくない」特徴を矯正したりするためのものである
「良い外見」が白人性やヘテロセクシャリティ、健常性や中流階級性と結びついているならば、例え投資しても回収できない事態が生じ得る。
【Wolf】
美を体現することが女性にとって絶対命令であるという「美の神話」が女性を苦しめてきた
社会的カテゴリーによって人々の間にはそもそも初期資本に違いがあり、投資をしてリターンを得るためのコストも異なることを考慮するならば、男性よりも女性が、女性内部でも社会的マイノリティが、ルッキズムが浸透した社会においてより構造的な不利益を被る
労働市場で評価される外見が美的労働(aesthetic labour)を通じて組織的に構築される中で格差が生じることを問題化している議論(美的労働論)
サービス産業における企業間の競争が激化する中で、雇用者は自身の身体を通じて顧客の感覚に訴えることができる労働者を求めている。企業イメージやブランドの個性を身体で体現し、顧客にアピールすることを職務の要素とするこうした労働は、イギリスの労働研究者であるWarhurstらによって「美的労働」と名付けられた。
美的労働は労働者の身体が組織的な統制・管理の対象となり、雇用者は同業他社との競争で有利になるために、募集、選抜、訓練、モニタリング、報奨のプロセスを通じて労働者の身体(体重やサイズ、服装や化粧、髪型、立ち居振る舞いや姿勢、言葉遣いなど)を開発し、利用する。
英米の実証研究によれば、雇用者が労働者に要請するのは中流階級の文化資本やジェンダー規範に適合的で「民族色が強すぎない」外見である
【「美的労働」の3つの倫理的問題(西倉)】
美的労働が手足や頭を使って行う労働と同じ労働の範疇に含められて良いのか?
外見という個人から切り離して他者に譲渡し得ないものが雇用者の利益追求のための手段となり、統制・管理の対象とされていると考えた場合、そこには個人の尊厳に関わる問題がある
企業イメージやブランドの個性を身体で体現して顧客にアピールできる労働者を雇いたいという雇用者の意向は正当化できるか?
労働者間の格差や個人の尊厳の棄損が引き起こされるという問題に注目するならば、正当化できないのではないか
外見の良い従業員に対応してもらいたいという消費者の意向は正当化できるか?
選択は個人の自由であるが、やはり格差を温存してしまう。
参照
「『ルッキズム』概念の検討ー外見にもとづく差別ー」西倉実季(和歌山大学教育学部紀要 人文科学 2021年2月)