映画『ファンファーレ』を観ました。
どのような映画か、ということに関しては公式HPのイントロダクションから引用します。

大石万理花と須藤玲は、アイドルグループ・ファンファーレのリーダーである西尾由奈の卒業コンサートのために呼び出されていた。 二人と由奈とはファンファーレの結成メンバー。由奈の希望により卒業曲は、万理花に振り付けを、玲に衣装のデザインを頼むことに。疎遠気味になっていた3人は、由奈の卒業を機にもう一度交流を持つようになる。
才能の限界を感じてアイドルをやめ、振付師を目指すも鳴かず飛ばずな万理花。 アイドル時代は圧倒的なカリスマ性で人気を牽引していたものの、服飾の道に進みたいとアイドルをやめ衣装のデザイン会社に入った玲。それぞれ社会の厳しさに打ちのめされる日々。 アイドルをやめて30歳手前、成功しているとは言えないセカンドキャリアでそれぞれの悩みや葛藤がある中、由奈の門出にお互い奮闘していくが…

https://funfaremovie.com

印象に残ったことはたくさんありますが、まず、「沈黙」あるいは「言語化されない表現」の素晴らしさです。僕は音楽専門学校の講師ですがカウンセラーでもあるので、特にそこに敏感の反応したのかもしれません。カウンセリングにおいて基本的な姿勢のひとつは「傾聴」なのですが、その際にクライアントさん(カウンセリングを受ける人)との間にしばしば「沈黙」が訪れます。日常会話では、この沈黙は気まずいものとして捉えられることが多いかもしれませんが、カウンセリングでの沈黙は「そこにたくさんの重要な意味がある」と捉えます。実際その状態から感じ取れる、あるいはクライアントさんがその沈黙の中で感じたり考えたりしていることはとても多く、大きいのです。

この映画では、ちょっとした「間」も含めて、時にそうしたシーンがあらわれます。そこでの表情、姿勢、周囲の状況といった、言葉で表されない映像上での表現と情報がとても多くそして丁寧で、それが観ている僕の感情を時にぐいっと、時にジワリと引き寄せるのです。この作品はそうした意味でも、とても優れた映像芸術作品だと感じました。また、作中に音楽がほぼないために、その映像表現が際立つとともに、一方でここぞというところでの音楽がとても印象的です。

もうひとつ、これもカウンセラーとしての感想になってしまうのですが、「アイデンティティ」について考えさせられる作品でもありました。

心理学的観点から見ると、人のアイデンティティは変化していくものでもあります。青年期に確立されたアイデンティティがそのままずっと一生を通して一貫して存在し続けるというわけではなく、生きていく上でさまざまな環境や状態の変化(例えば加齢や、人によっては結婚・出産など)を受けることで、アイデンティティの感覚は「一貫していくこと」と「絶えず変化し続けていくこと」とのバランスの中にあり、危機期と安定期を、螺旋を描くように繰り返します。

登場人物たちは、このアイデンティティの形成期・安定期・危機期の螺旋の危機期に当たるのかもしれません。しかし、どんな人であってもこの螺旋には翻弄されていくものでもあります。

アイドルや芸能に携わる人たちは、一般的な職業についている人たちよりも早く、時には激しくその螺旋の渦に巻き込まれてしまいます。ただ一方で文化・芸能の分野は、社会に対しての「炭鉱のカナリヤ」のように、真っ先に危機を感知し伝えるという面もあります。そうした意味でもこの映画は、アイドルという特殊な世界の話というだけでなく、変化の大きなこの世界で生きるすべての人へ「これからどう生きていくのか」ということを、アイドルというカナリヤを通していち早く問うているのかもしれません。

本当は他にもいろいろ書きたいことはあるのですが、ネタバレ回避のためにこの辺で。